20年、共に暮らした愛犬がいた。
マルチーズ。
名前はラブ…だけど男の子。
結婚したり離婚したり、引っ越したり戻ったり、私の周りで何があってもずっと私の側にいた。
今気づいたが、親兄弟より、その時々の夫より長く一緒にいたんだな。
夫を亡くし、翌年に父を亡くし、その翌年(2022.3.8)にラブが死んだ。
20年、まぁ長生きしてくれたもんだ。
人間に換算すると、96歳らしい。
こんな私が飼い主で、ラブもほとほと困っていただろう。
「寂しい」という感情は、ラブがいなくなって初めて認識した。
夫や父を亡くした時は、「寂しい」は殆どなかったように思う。
「悲しい」や「辛い」、「悔しい」「虚しい」「切ない」など、入り乱れた感情が私を取り巻いたけれど、その中に「寂しい」は見当たらない。
なんでかな?
友達や親しい人は、
「寂しくなったね」
「寂しいでしょう」
と声をかけてくれたけれど、
「そうでもないわ」
と答えていた。
嘘じゃないし、強がりでもない、だって「寂しい」だけ無かったから。
ラブが死んだ時、私を覆いつくしたのは「寂しい」。
他には何もない、ただただ「寂しい」。
「仕方がないわ。何せ20歳なんやもん、大往生やん」
と口では言いつつ、やっぱり凹んでいる私を見て息子たちが
「もう犬は飼わんの?」
と聞いてきた。
「もう飼わへん」
と返答していた。
もう飼わへん…つもり…だけど…やっぱり寂しい。
コメント